本研究成果のストーリー
Question
視覚障害のある人が理系分野を学ぶ際には多くの困難があります。とりわけ、最先端のサイエンスについての視覚障害者向けの教材は極めて少ないのが現状です。
Findings
本プロジェクトでは、素粒子の研究者自身が主体となり、視覚障害当事者や支援者の方々の協力を得て、視覚に頼らずに学べる素粒子教材を製作しました。
Meaning
素粒子の世界を学ぶための新たな方法を提供することで、障害の有無に関わらず、より多くの人に理系分野へのキャリアの道をひらきます。
視覚障害者向けの新たな素粒子教材を開発しました。触って学べる巨大な素粒子実験装置の模型や、音の高さで素粒子の種類を区別できるセンサーなどの教材を通じて、視覚に頼ることなく最先端のサイエンスを学ぶことのできる機会を提供します。
教材開発チーム
本プロジェクトでは、KEK の素粒子研究者たちのチームと、高校生の探究活動を支援する加速キッチン合同会社のチームが分担して教材開発を進めました。また、一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティが展開する、暗闇の中で他者との対話や活動を行う体験プログラム「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に所属する全盲のアテンド(案内役)の方々からの協力を得ました。
KEK の教材開発メンバーからひとこと

教材開発を主導したKEK 素粒子原子核研究所 中山 浩幸 准教授
視覚に頼らない伝え方を模索した今回の教材開発では、ご協力いただいた視覚障害者の方々との対話を重ねて教材を改良していきました。また、視覚障害とひと口に言っても、全盲や弱視といった見え方の違いに加え、指先の触覚の鋭さ、音に対する感受性など、一人ひとりの様々な個性があることも教えていただきました。
サイエンスの面白さを伝える際には、一方的に情報を提供するだけではなく、相手がどのように情報を受け取って理解を深めていくかに寄り添う姿勢が欠かせません。そのことを私たちは今回、改めて実感しました。今後も、視覚障害のある方々をはじめ、誰もが最先端の科学に触れられる機会を広げていきたいと考えています。

測定器模型の製作を担当したKEK 機械工学センター 岡田 尚起 技師
3Dプリンタで測定器模型を製作するにあたっては、仕様素材の種類、凹凸の形状、エッジの丸みなど、触感に影響する要素について視覚障害のある方々の意見を伺いながら調整を重ねました。さらに、巨大な測定器の膨大なCAD データから、情報を適切に取捨選択して模型用に簡略化する作業は、通常の機械設計とは異なる判断基準が求められ、非常にチャレンジングでした。
視覚障害のある方々と直接お話しし、実際に教材を試していただくなかで、触って理解しにくい部分に対する具体的なフィードバックや思いがけない視点を伺うことができ、ものづくりの考え方に新たな気づきを得る貴重な経験でした。
なぜ教材開発を始めたのですか
視覚障害者が理系分野を学ぶ際には多くの困難があります。これまで、視覚障害者向けの理系教材は晴眼者向けの教材を点訳する形で提供されてきましたが、専門的な知識が求められる理系分野に対応できる点訳者は少なく、とりわけ最先端のサイエンスに関する教材は極めて限られています。こうした状況は、理系分野を志す視覚障害のある生徒たちにとって大きな壁となってきました。
私たちは、視覚障害のある方々との対話や交流を通じてこのような現状を知り、理系の専門家である自分たちにも何かできるのではないかと考えるようになりました。本プロジェクトでは、素粒子の研究者が自ら教材開発の中心となり、視覚障害の当事者や支援者と協力しながら、専門性とアクセシビリティを両立させた新たな素粒子教材の開発に取り組みました。
KEKでは、「すべての人にサイエンスの楽しさを(Science for All)」を目標に掲げ、2023年度には視覚障害者向けの素粒子点字本(https://www2.kek.jp/ipns/ja/braillebook_project/)を製作するなどの取り組みを進めており、今回の教材開発もその一環と位置付けられるものです。
どんな教材を開発したのですか
素粒子測定器の触察模型(KEK 制作)
KEK で稼働する巨大な素粒子測定器(約8m)を1/40 スケールで再現した模型です(写真上・左下・右下)。3D プリンタを用いて製作されており、各パーツには点字ラベルが貼ってあります。パーツを触って確かめながら組み上げることで、視覚に頼らずに装置の内部構造を理解できる設計となっています。合わせて、装置の内部構造の理解を補助する2 次元断面図(写真右上)も3D プリンタで作成しました。使用する素材や形状の詳細については、視覚障害のある方々からのフィードバックをもとに改良を重ねました。




音で学ぶ粒子センサー(加速キッチン制作)
宇宙線や放射線を検出すると音が鳴る手のひらサイズの小型センサーです。検出した粒子の種類に応じて鳴る音の高さを変えられるため、視覚に頼ることなく、宇宙線や放射線について学ぶ本格的な実験実習を行うことができます。

努力したところはどこですか
教材の開発にあたっては、ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)に所属する全盲の方々をはじめ、さまざまな障害当事者やその支援者の方々に試作品を体験してもらい、得られたフィードバックを反映しながら改良を重ねました。
3Dプリンタで使用する素材はフィラメントより光硬化樹脂タイプのほうが長時間触っても指が疲れにくいといった点や、三次元の立体構造と二次元の断面図の関係を紐づけて理解することの難しさなど、開発に取り掛かる前には思いもよらなかった意見をいただき、それらを取り入れて教材を完成させることができました。


それで世界はどう変わりますか
2024年3月には、筑波大学附属視覚特別支援学校の協力を得て模擬授業を実施しました。全盲の高校生を対象とした模擬授業では、素粒子物理の導入講義・測定器模型の触察による理解・音の鳴るセンサーを用いた放射線遮蔽の実験実習などを組み合わせたプログラムを実施しました。今後は、全国の盲学校や科学館などでの出張授業を通じて教材の活用を進めていく予定です。
また、開発過程で得られた知見やノウハウを公開・共有し、他の分野への応用や協働にもつなげていきます。このような試みが様々な理系分野に広がっていくことで、障害の有無にかかわらず誰もが最先端のサイエンスに触れることができる社会が実現されることを願っています。


謝辞
KEK 加速器科学国際育成事業IINAS-NX
筑波大学附属 視覚特別支援学校
筑波技術大学 障害者高等教育研究支援センター
その他、ご協力いただいた障害当事者・支援者の方々
お問い合わせ先
<研究内容に関すること>
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構
素粒子原子核研究所 准教授 中山 浩幸
e-mail: hiroyuki.nakayama@kek.jp
<報道担当>
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構 広報室
Tel: 029-879-6047
e-mail: press@kek.jp
加速キッチン合同会社
Tel:03-4500-0403
e-mail: info@accel-kitchen.com